painto bloomoon

パステルアート/ハンドメイドアクセサリー/韓国語や英語/ドラマ映画/音楽/自身の体験した話など様々なジャンルを書いていく予定です。

プロセス

 

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今日は、ただ思うことを日記に綴るような感じで…書いていこうと思います。

重く感じとれてしまう長い文章になりますので、そういった文章が苦手な方は飛ばして頂いても大丈夫です。

自身が幼い頃に経験した言葉の重圧やのつく結果について、書いていきます。

自身が幾度となく限界を超えて、ひたすら必死に努力・勉強をしても…しても

のつく結果(合格点に達する結果)に繋がらなかったことがありました。

その結果に対して、男親に言われた言葉が未だに呪縛のように…自身に記憶されているように思えます。

「努力は、必ず結果(合格点に達する結果)に繋がる」と。

のつく結果(合格点に達する結果)は、ただの通過点にしか過ぎず、それすらたどり着けないのは…どうしようもない人だ」と。

「結果に繋がらない努力・勉強は、努力でもなんでもなく・勉強もしているうちにはカウントすらされない」…という意味を持つと。

「血を吐くほどの努力・勉強をしていたら、結果は明らかに変わっていた」と。

「もっと、もっと限界を超えて出来たはずだ」と。

「自身の友人(合格点に達する結果に繋がった人)と比較すると、自身は劣っている(表に出せない程の)存在だ」と。

そういった冷酷で、ある視点から見たら正当な言葉で…言われたことを記憶しています。

そんな残酷的な言葉を真正面から受け取ってしまったので…

喪失感絶望感劣等感自身に対する価値や限界言葉の残虐さ重圧さに苛まれ、今までの全てを粉々に踏みつぶされたように感じました。

その当時の自身を一言であらわすと…

以前に紹介した、小説「海辺のカフカで登場するキャラクターが言っていました「空っぽ」という言葉がしっくりくる感じがします。

(小説「海辺のカフカ」についての記事はこちらです。↓↓)

 

paintopastell.hatenablog.com

 

それと同時に繋がらなかった結果には、色んな人の努力も関係していたので…申し訳ない気持ちと・恥ずかしさの気持ち・罪悪感にも苛まれたのを覚えています。

応えることのできない結果が、こんなにも…もどかしく・哀しく・報われることのないものだと悟りました。

改めて繋がらなかった結果を分析すると…

好奇心や探求心・向上心が気持ちに追いつかない…努力・勉強では、のつく結果(合格点に達する結果)に繋がりにくいかと。

(実際に自身の努力・勉強も不足していたのと、効率の悪さは事実ですが…)

のつく結果は、きっと

努力・勉強では補える領域ではない、ポテンシャル(隠された力)・能力・才能・運・タイミングも含まれていて…それがすべて重なった時(恵まれていた時)にのつく結果が目に見える数字・評価として確かめられる唯一の表現なのかもしれません。

自身は、能力という言葉の一部分は…

ポテンシャル・才能・運・タイミングも一部分に含まれているのではないかと思っています。

のつく結果に誰もが、目指し・悩み・左右される事だと思います。

どんな結果が待っていたとしても、努力・勉強に対するプロセス(過程)がどんな結果よりも貴重で…結果と比較できないほど価値のあるものだと感じています。

どんな結果でも、プロセス(過程)を振り返り…分析してみれば修正・追加できるキーワードヒントのようなものが必ず見つかります。

それらを振り返り、分析・発見/見つけること(気づきの眼[あらゆる視点・方向性から見ること]を知ること)ができれば…

結果を上回る成長が、思いもよらない形で…自然と結果に変化してついてくると思います。(自身の個人的な見解ですが。)

自身の男親には、結果やプロセスを全否定されましたが…

プロセス(過程は)気づきの宝庫だと思っています。

秘めた夢や隠された自身の価値を見出すことのできる、希望に満ちたものだと感じます。

繋がらない結果から、気づきの眼を知ることさえできれば…

誰かが迷った時や自分が迷った時に、自身や誰かが広く羽ばたける場所を教えてくれると。自身の経験上、そう思っています。

長々と最後まで読んで頂き、ありがとうございました。